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ぽけっとぽけっと

あ、またシャンプー買い忘れた。

走る

 

  風を切る音を耳で感じながら呼吸のペースを一定に保ちつつ、腕と脚を等間隔でみぎ、ひだり、みぎ、ひだりと振り出す。辺りの風景は流れるように過ぎ去り、僕の身体が空気のかたまりを切り裂いていく。冷たい空気に、鼻が少しツンとする。

 

 僕はこのところ、年末年始にでっぷりついた脂肪を落とすために走っている。

 寒いなか走りこんで身体を温めるとなんだか、いけすかない冬将軍にちょっとした勝利を収められた気がするのだ。でも走ることをやめると、温まった身体はあっという間に冷やされ、僕の反逆は簡単に鎮圧される。

 

 走ることは楽しい。身体は疲れ、水を欲し、心臓がバクバクと鼓動を打つと、あぁ自分は確かにこの地に足をつけて生きているのだと実感する。元はと言えば、高校時代の部活でよく走り、よく疲れ、よく生きることを体感してきたことが始まりなのかもしれない。

 走っている時にはいろいろなことを考える。過去、現在、未来、様々な時間軸に対して、自分の感情や経験を掛けあわせて考える。でも時に、ただただ走っていることだけを考えるときもある。まるで走っているなかで、自分の中の雑念がひとつ、またひとつと砕け落ちるかのようだ。

 

 先日、いつものように走っていると、近くの大きな公園で立派な蜘蛛の巣を見つけた。思わず僕は足を止めて、じっくりとその蜘蛛の巣に見入った。枝の間にかけられたその巣は、直径が30cmはあろうかという大作で、模様は規則正しく網状になっている。肝心の家主は不在のようである。一体これを作り上げるのに、どれくらいの時間がかかるのだろう。そういえば、東京へ来てから蜘蛛の巣を見るのは久しぶりだなと思い、いやまてよ地元でも冬に蜘蛛の巣なんてあまり見かけないんじゃないかなどと考えつつ、また走り始めた。

 

 段々とペースを上げていくなかで、一つの考えが浮かんだ。人間とは、まるで蜘蛛のようなものじゃないか。蜘蛛単体では、獲物を捕まえることは難しい。蜘蛛は、自分の作り上げた網をもってして初めて生きることができる。ここでいう蜘蛛を人間とするならば、蜘蛛の巣は、僕たち人間が作り上げた人間関係や、社会のネットワークだ。その強度や、効率性、大きさなど、価値を測る尺度はいろいろあるかもしれないが、その網がその持ち主の生き方を表す。そう、まるで僕らは蜘蛛のようじゃないか。

 時間をかけて網を作り上げ、何かの拍子に壊されても、また自らの手で修復し、力強く生きていく。時にはその糸が、誰かの最後になるかもしれないし、誰かの救いになるかもしれない。

 

 そう考えていると、あっという間にゴール地点へ着いてしまった。ひと通りのストレッチを終え、帰路につくなかで、そうだ、今日の晩ご飯はまだ食べきれていない揖保の糸にしようと思いついた。我ながら季節感もへったくれもないな、などと考えつつ、カンダタが地獄の底で掴んだものが素麺だったらどうなっていただろう、茹でているか否かで結構違うかな、どちらにせよ絶望だなと思いつつ、僕は家へと歩きはじめた。