ぽけっとぽけっと

あ、またシャンプー買い忘れた。

そこにもひっそりとエイリアン

はいさい!
寒い日が続きますね。
でもこの時期の晴天って空が高く澄み渡って好きです。
 
 

はてさて

 
唐突ですが、みなさんは音楽を聴くことは好きですか?
多分、誰にだって思い入れのある曲があったり、好きなアーティストがいたりするとおもいます。
僕は音楽に関してほんとに雑食で、小節の効いた演歌から繊細なクラシックまでなんでも好きです。最近はアニデレのCDを楽しみにしてます。
 
さて、今日紹介したいのは、キリンジのエイリアンズという曲です。
 
ただ、僕はこの文章を書くことをちょっとためらいました。
個人的な考えとして僕は、人に教えたい音楽とこっそり自分で楽しみたい音楽があると思っています。その境目は難しくて、よく何なんだろうと自分で考えています。たぶん、人にその良さを言語的に説明することが難しくて、自分の非言語的な部分に訴えかけてくる音楽を「こっそりと自分で楽しみたい音楽」と捉えるのかなと思っています。
 
今回紹介したいキリンジは、まさにそのこっそりと自分で楽しみたい音楽に分類されていたのですが、最近すこしずつ言葉で説明できるような気がしてきたので、この文章を書いています。
 

キリンジって?

 
みなさんはキリンジという素敵なアーティストをご存知でしょうか。
独特なサウンドと優しくも艶っぽい歌声、そしてぼんやりと鮮明な情景を浮かび上がらせる歌詞が特徴です。
僕は特にDrifterという曲が好きなのですが、今回はエイリアンズという曲です。
 
百聞は一見にしかず、まずは聞いてみてください。
スマホからこの文章を読んでくださっている方はちょっと一休みして耳をすましてみてください。
PCからこの文章を読んでくださっている方も、たまにはちょっと立ち止まって聞いてみてください。イヤホンやヘッドフォンがおすすめです。
 
 
 
いかがでしたか?
人によって音楽の好みはまちまちなので、「これ好きじゃないや」って方がいても当然です。食べ物の好き嫌いみたいなものですよね。たけのこ派の人にきのこの山の素晴らしさを語っても全く響かないと思うので、もうそこは開き直って「お、これいいじゃん」って思って下さった方に向けて続きを書きますね。
 
もしよければあんまり良いと思わなかった方も読んでください。
 
 

エイリアンって?

 
「まるで僕らはエイリアンズ」そんなフレーズが耳に残ります。
 
まず、「エイリアン」ってなんなんだって思いますよね。
ここでいう「エイリアン」とは、地球を侵略しにきたあのグロテスクなやつらじゃないですよ。
 
alienという単語には、「異邦人、異世界の人、よそもの」という意味もあります。
だからこの歌詞のなかでは、「この世界の人ではない異世界人」という意味で捉えてみます。
 
ただ、後述する歌詞に基づいた連想で気づきますが、宇宙人としてのエイリアンもこの歌詞の意味にかけられているのかなとも思います。
 
そのことを前提においたうえで、この「エイリアンズ」の歌詞を見てみましょう。
 
 
 
こうしてみてみると、「禁断の実 ほおばっては」「誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ」「月の裏を夢みて」などまるで何かを暗示しているような言葉が気にかかります。そして「まるで僕らはエイリアンズ」という歌詞。
 
みなさんはどのような情景を連想しましたか?
 

僕としての解釈

 
ここからはこの曲を受けての僕が個人的に連想しまくった世界観です。
 
まず、禁断の実といえば旧約聖書に登場するアダムとイブが口にした知恵の実を連想します。言わずもがななのでこれについては省略しておきますね。
 
Lucas Cranach d.Ä. - Adam und Eva (Courtauld Institute of Art)
 
その知恵の実を頬張った男女ふたりが、この世界に馴染めず、「誰かの不機嫌も寝静まる夜」に息を潜めて「バイパスの澄んだ空気」が流れる「この星の僻地」つまり、郊外のベットタウンのような町で身を寄せ合う姿が思い浮かびます。
 
 
2人は、「月明かりが長い夜に寝つけない2人の頬を撫でて」くれるように、不安や孤独感からか長い夜を過ごしていることでしょう。誰もが寝静まり、ささやかな虫の声と月明かりに包まれるふたりは、まるで見知らぬ世界に取り残された「エイリアンズ」です。
 
そんな2人の静かな関係性が、この歌詞からは浮かび上がってきます。
都会では都会人のふりをして忙しなく動きまわり、人の顔色を伺いながら生きる2人も、ここではその仮面を外すことができます。誰も見ていないから。
 
そして「月の裏を夢みて」という歌詞です。
古代から僕ら人間と深い関係にある月という星は、公転周期と自転周期が同じという不思議な世界のイタズラによって地球へ同じ面しか見せていません。つまり、僕ら地球人はこの星に足をつけている限り、月の裏側を見ることはできないのです。
 
ここでいう「月の裏」という言葉は、未だ見ぬ理想郷や辿り着くことのできない楼閣のようなものでしょう。
そんな場所を、2人は静かな孤独のなかで夢見ているのだと思います。
 
 
この幻想的な情景に、僕は自分を重ね合わせてしまいます。
上京して数年が経ち、当たり前のように最短ルートで電車を乗り換えて、重要な用事があるかのように都会をスタスタと歩き回り、邦の言葉を隠して上手く立ち回る自分の姿です。
でもふと立ち止まってみると、自分はやっぱりこの世界の人間ではなく、キリンジの言うようなエイリアンの一味なんだと感じることもあります。(恋人はいないけどね!!!)
 
これは都内で育った人間であっても共感できる感情なのではないでしょうか。
人は心のどこかに寂しさや孤独を内包していて、その凹みを埋めてくれる何かや、居場所を求めています。
そんな心の凹みを共有しあって、ひっそりと生きている生き物の姿が思い浮かぶのが、このエイリアンズという曲なんだと思います。
 
近いものとしては、ちょっと昔の歌になってしまいますが、stingのEnglishman in New Yorkという曲を連想します。
 
この曲は、ニューヨークに生きるイギリス人の姿を描いています。
そのなかで、
 
I’m an Englishman in New York
I’m an alien, I’m a legal alien
 
僕はニューヨークに生きるイギリス人
僕は異界人、合法的な異界人なんだ
 
という歌詞があります。
この曲はニューヨークというアメリカの象徴的な場所で、自身の流儀を変えずに誇り高くかつ孤独に生きるイギリス人の姿を描いています。
 
奇しくもこの歌詞のなかで用いられているalienという言葉は、まさにキリンジの「エイリアン」という言葉とすごく近いものではないのかなと思います。
 
 
 僕らが生きている日常の陰に、ひっそりとエイリアンが生きているんだと思います。