凡人でごめんなさい。会田誠展から感じたこと。
はいさい!
新宿は豪雨です。
そんな群青日和な毎日を過ごす後藤です。
本日はちょびっとグロ注意。
はてさて
今日は先日閉幕した会田誠展「天才でごめんなさい」で感じたことを書きたいと思います。
そもそも、”会田誠”って誰なんでしょう?
会田 誠(あいだ まこと、1965年10月4日 - )は、日本の現代美術家である。奈良美智や草間弥生らとともに『新ジャポニズム』の代表的な作家とされる。(Wikipediaよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%94%B0%E8%AA%A0)
この人です。結構ハンサム。
そしてこのダンディな方が描いた代表作がこちら。
《切腹女子高生》
2002年
アクリル絵具、ホログラムフィルム、透明フィルムに出力
119×84.7 cm
渡井康之氏蔵
Courtesy:Mizuma Art Gallery
いやー僕のような凡人からするとこんな作品を書くなんて到底思いつきません…
僕の場合、彼を知ったきっかけは一冊の本でした。
はい。マジキチですね。
「お前ってドSだよなw」みたいな会話に見られるS、つまりサドはこの本の原作者であるマルキ・ド・サドからきています。
そのサドが書いた「ジェローム神父」という過激な作品と会田誠の「犬」や「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズの画を組み合わせたのがこの本です。
純粋な興味からこの本を手に取った当時中学3年生の僕は、かなりの衝撃をうけました。とりあえず、イクラを食べることに抵抗を覚えました。(気になる方は会田誠 とれたてイクラ丼でぐぐってみてください)
という感じで、かなり問題のある作品を多く残している方です。
しかし、その卓越した技能で描かれる大胆な発想は群衆を惹きつけて止みません。
そんな彼が六本木の一流美術館で大規模な個展を開くというなら、これは行くしかない!ということで行ってきました。
意外にも、彼は「義務感」で行動していた。
そんな彼に、僕は偏見を抱いていました。
”きっと自分の本能の赴くまま、感性を爆発させている天才なんだろうな…”
しかし、そんな偏見は見事に打ち砕かれました。
展覧会で公開されていたインタビューや、手記を読んで真っ先に思ったのは
「◯◯しなければならないと思った」
という記述が多くみられるということです。
例えば
「戦争について書かないといけないと思った」
→美しい旗、紐育空爆之図
「哲学書を読まないといけないと思った」
→ハイデッガーを読んで感じたものをアクリル板に書く
といったところです。
彼は、意外にも「義務感」で行動していることが多かったのです。
もちろん、例外もあると思います。しかし、彼の作品の殆どに”義務感”、から生まれる何かしらのメッセージが明確に存在すると感じました。
どうして彼が天才なのか?
自分がものすごーく未熟者であるということは重々承知しております。
はい、見え透いた予防線を張ったところで
ここでは会田誠の凄さについて考えていきたいと思います。
あんまり長くなっても面白くないと思うので、簡潔にまとめます。
会田誠の凄さとは、ごく自然に己のwantを社会のneedの中で爆発させることが出来ることだと思います。
彼の場合、上に掲載した作品のようなものを好む”社会”を絞って絞ってneedを嗅ぎ当て、自分のwantを爆発させていると思います。
彼は、そういう意味では天才だと思います。
つまり、ある“社会”のneedを嗅ぎ当てる天才でしょう。
そこには彼がもともと芸術で食っていく気はなかったという点も大きく関係していると思います。
どれだけ素晴らしい才能や技術を持っていても、社会のneedを読み取らないと成功できません。例えば、ゴッホやピカソ、シューベルトのように死後、社会のneedがたまたま合致して高く評価される人がいました。しかし生前に評価されないことには、地位も名誉も財産も手にすることが出来ず、家が大富豪でもない限りは非常に苦しい人生を送ることになりかねません。
とある社会のneedを上手く嗅ぎ当て、そこで自分のwantを爆発させる…ここを徹底しているのが会田誠なんだと思います。
ここまでくると彼は一種の奇才でもあると思います。
うーん、なんだかお粗末な結論になってしまいましたが、とりあえず会田誠展は素晴らしかったです。三時間半ほどがっつり楽しませてもらいました。一見の価値は絶対あると思いますよ!
それでは
またねん!
凡人でごめんなさい。