ぽけっとぽけっと

あ、またシャンプー買い忘れた。

ツイ廃だった僕がTwitterから離れようと思ったお話

はいさい!

みなさんお久しぶりです後藤です。

最高の夏の足音が近づいてきましたね。

 

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はてさて

私事ではありますが、5年ほど続けたTwitterから離れることを決めました。

もうしばらくTwitterにログインしてないのですが、数人の方から「大丈夫?生きてる?」と本気の心配をして頂いたので、理由を説明します。

 

その理由をここで改めて述べておくことと、自分の考えを整理する必要があると思ったので、この文章を書いています。

「むかしはよかった」なんて言いたくありませんが、僕はTwitterの変化についていけないし、これ以上Twitterの呟きを元に揉めたくないのです。なかよしインターネッツをもとめて、さらばだついったー

 

僕とついったー 

みなさんTwitterやってますか?

僕はがっつりやってました。

僕は、Twitterが大好きでした。

いわばツイ廃というやつです。

時間があればTLを覗き、感じ考えたことを呟き、呼吸するようにふぁぼってました。

 

遡ること約五年前、たまたまTwitterを知った後藤少年はアカウントを開設します。その後、アカウントを変えたりもしましたが、ほぼほぼ毎日呟きつづけ、最もよく使用したアカウントは40000ツイートを越えるまでに至りました。

 

結局開設したアカウントは10を越え、全てのアカウントのツイートを合わせると100000ツイートを優に越えます。自分でもどれだけの時間をTwitterに費やしていたのかと考えるとゾッとします。

しかし、Twitterはただの時間の浪費だったかというと、そうではないと断言できます。

 

上京してからずっとお世話になっているベンチャーも、各方面で活躍する優秀な友人達も、自分と限りなく趣味が近い友人達も、全てTwitterがきっかけでより深い交友関係を築くことができました。

面白いイベントを見つけたり、美味しいお店を知ったり、興味深い記事が流れてきたり、主体性が試されるインターネットにおいてTwitterは、僕にとって唯一受動的なメディアでした。

 

 

そして、本当に楽しかった。

 

 

稚拙ながら自分の政治や経済についての考えを呟けば、それに優しく応えてくれる人がいた。大好きな文学作品について呟けば、共感してくれたり興味を持ってくれる人がいた。行き場のない弱音を吐けば、励ましてくれる人がいた。

また、著名人(その当時はTwitterをやってる著名人は本当に少なかった)にリプライを飛ばして返事が来たときは震えるほど嬉しかったのを覚えています。

 

僕は本当にTwitterが大好きでした。それまでずっと2ちゃんねるに入り浸っていた僕は、すぐに拠点をTwitterに移しました。僕はそこでいろんな人や考え方に触れ、その楽しさに肩までどっぷり浸かっていきました。

 

さっきも書きましたが、本当に楽しかった。

 

そして、自分の考えをまとめたり、気持ちを整理したり、ストレスを発散するのにTwitterは最適でした。Twitterを初めて約5年間、Twitterは僕の習慣となり、僕の生活の一部となりました。

 

しかし、そんなTwitterにも変化の波が押し寄せます。

 

 

変わっていくついったー

 

ちょっと前まではテレビでTwitterを紹介する際、「短文投稿サイト」などど紹介されていました。

しかし、今やTwitterという言葉は市民権をがっしりと掴み取りました。 スマホの普及に伴い、ユーザー数が爆発的に増加したのです。また、映画やドラマなどで登場人物がTwitterをチェックするシーンなども増え、ユーザー数の増加に拍車をかけます。

 

そして時が経つにつれ、Twitterが自己顕示欲、承認欲求の発散場所として捉えられるようになりました。特に高校生や大学生の界隈では、昨年直木賞を受賞した朝井リョウの「何者」で描かれているような、「意識高い」アピールが頻繁に行われるようになりました。

誰だって 他人とは違う、「何者」かである自分をアピールすることに必死でした。

 

「◯◯を読み解く。近代ヨーロッパにおける個人の変遷は実に興味深いなぁ…」

「今日は六本木で上司たちとご飯に行ってきた!いつもごちそうさまです!」

「◯◯(@〜〜〜〜)と代官山のスタバで遭遇。久しぶりに語ったなぁ…」

(こんなんばっかです…おうふ…)

 

何者

 

 

また、バイト先の冷蔵庫に入った写真をアップして炎上したり、殺人などの犯罪予告をしたり、他人の愚痴や批判で注目を集めるような人も増えました。 母数が増えればそれは必然なのかもしれませんね。

 

 

そんな流れのなかで、「Twitterで呟いたことには、絶対何かしらの自己顕示欲的、承認欲求的な意図がある」という論調が生まれました。さながら精神分析家のように、「この呟きにはこのような意図がある!!」と捉えられることが増えました。インターネットでは、自分が思ってる以上にいろんな人が自分の発言を監視しています。

 

「友達と自由が丘のカフェに行った」と呟けば

は〜オシャレな場所でオシャレな食事してる自分をアピールしたいのね」と捉え、

 

「はぁ…ちょっと辛いな」などと病みツイートを呟けば

は〜病んでる自分をアピールして慰めてもらいたいのね」と捉え、

 

「酔った女の子に冗談半分で口説かれた〜笑」と呟けば

は〜ある程度女にモテる自分をアピールしたいのね」と捉えるような感じです。

 

かぁ〜〜めんどくさっっっっ!!!

 

そうです、単純に僕はTwitterというものがめんどくさくなりました。そして、前ほど面白いと思えなくなりました。

 

「考えすぎなんじゃないの?…」という方がいるかもしれませんが、実際に僕は上に述べたようなことを言われ、更には「まぁ誰だって人気者に思われたいしね^^」などど言われる始末です。確かにそう捉えられるような発言をしていた僕が悪いですね。

 

それまで僕は、自分が考えたことや感じたことを気軽に呟いて、それに関することを誰かが付け足してくれる、オープンなメモ帳みたいな感覚でTwitterを活用してました。

 

しかし、いつの間にかそんな使い方をしていては、見えない誰かに串刺しにされる世の中になっていたようです。しかし、それが正しいTwitterであり、インターネッツなのかもしれません。僕は、寝ぼけていたのかもしれません。

 

メモ書き程度に書いたことや、好きで発した言葉を

 

それは誰に向けた言葉なんですか?

 

その真意は?動機は?

 

とか聞かれても、なんも言えないです。ごめんなさい。

 

そんなこんなで、前々から「そろそろTwitterやめるかな…」という想いが強まってきました。そしてこのまま惰性で続けていってもしょうがないと思い、あいぽんからTwitterのアプリを消し、Macから夜フクロウを消し、ChromeのブックマークからTwitterを外しました。アカウントを消す勇気がないのはご愛嬌…(追記:アカウントを削除して一ヶ月が経ちました。もうアカウントが復活することはありません。)

 

ついったーを離れてみて

 

ある程度Twitterから離れてみて、本を読む時間が増えました。

勉強する時間も増えたし、PCで作業している時の効率があがりました。

沈黙は思考の幹だと誰かが言っていましたが、じっくりと考えることも増えたと思います。

 

今のところ、脱Twitterは結構いい影響を及ぼしているんじゃないかと思います。

 

 

最後に

 

「メモ書きなら、実際にメモ帳へ書けばいいじゃない。Twitterで呟くことないでしょ」

 

最近そう言われました。

 

ぐうの音も出ない正論です。ぐう正論。

 

「僕にとってのメモ帳はTwitterで〜〜」などど反論するつもりはありません。Twitterで呟いた時点で、誰かからの反応や、誰かからの視線を気にしなければならないんだと思います。それが本当のインターネッツですね。

だから僕は感じ考えたことを実際にメモ帳に書き連ねています。現在進行形です。

 

SNSが盛り上がりを見せる今日、僕らは“つながり”という名のもとにお互いを監視しあい、見えない鎖でがんじがらめにしているんだと痛感しました。

 

Twitterで発散できないストレスやフラストレーションは、他の何かに昇華していきたいと思います。Facebookも辞めたいけど、業務連絡やらなんやらで辞めれそうにないです。あーめんどくさい…

 

でも本当にTwitterには感謝してます。今までありがとうございました。そんな、懐古厨かつ老害の、老害なりの考え方とその誤りでした。

もしかするともしかして、アカウントを再活用する日が来るかもしれません。

 

 

そんなこんなで、カッコ悪い自分語りと自虐ネタと、言い訳に満ちた久しぶりのブログ記事でした。

 

 

 

 

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おーしまいっ!